Twitterの人っていうかネットの人

 SugarSyncは久しぶりに素晴らしいソフトだなあと思って、オンラインストレージいいよ!て思ったんだけど、Twitterの可也こいつは凄いって思っていた人が辞めてしまっていてすげー悲しいので、そこらなにかというかちょっと文章にしてみようぜ。

前提としてネットで、ネットで面白いと思う人はいて、文章が上手い、切り出し方が上手いというか描写というか、誰だったか川端康成だかが現実をデッサンしているんですみたいなことを、こないだ言っていたんだけども、NHKで。その文章でデッサンするのが上手い人は結構いて、結構もいないけど、まぁいる。
で、面白いでも閃きっての、凄いなそれって思う人は、あんまいなくて、2ちゃんだと弥くらいしかみたことない、でツイッターだとその人だけだったんだけど、アカウント消してて、結構割りとおれは悲しいとかそういうのあんま無いんだけど、久方ぶりにショックというか落ち込んだというかショックだった。
で、これは何かつーと、すげー単純で、もう逢ったりとか、逢ってないけど、話とか、会話もしてないんだけど、それでも凄いなあと思っている人がアカウント消して連絡も何も取れなくなるってことは、もう二度とその人の感覚というかそこらを知ることが出来ないということで、接点の余地は無く、夢で見た人と同じで、要は死んだのと一緒なんだなあと思った。
例えば芸能人とか好きじゃないですか。宮崎あおいとかおれは好きじゃないですか凄く。でも、宮崎あおいがどーなろうが知ったこっちゃない。テレビに映らなくても知ったこっちゃ無いっつーのは、それはあれ、生きていて、どっかまあテレビ越しとかで見る機会はあって、可能性はゼロじゃないからだよ!とか思ったけど、宮崎あおいが死んでも別にどうでもいいなあ。
じゃぁなんだ。ツイッターは他人の生活感というか、思考や生活をいったん脳みそを通して文字にしたものだから、その人の脳みそ中身が垣間見えるところであって、お前の渾身のポストをおれが読んでふぁぼって、おれの渾身のポストをお前はスルーして、てめーふざけんじゃねーこのやろー!!っていうそこ。
違うな。寝よう