もしドラをテレビでしかみてない

えーなんだっけなーもしドラで、あの基本的にみんな甲子園いきたいみたいな設定あって、いやあの俺はテレビでしかみてねーんだけれども、あのあたり、会社とはぜんぜん関係ないつうか、部活の野球ならそういう志で入部するのかもしれないけれど、俺はまともに部活やったことないからよくしらないけれど、まあそれでよくって、でも会社に参加するってことは生活を成り立たせたいだけであってイコール会社を大きくしたいってわけじゃないわけで、そこらもしドラみて勘違いする馬鹿経営者が多いだろうなと思ったわけで、この意識の違いが何故駄目かというと、もしドラって甲子園に出場するために、犠牲を払っているわけじゃないですか、あのレギュラーになれなくてマネージャーに転向したやつとか、新入生の野球部に入れなかった人とかもだけれど、目的にそぐわない人が、自分の意思を反故にして、目的に協力できるように自分なりなんなりを犠牲にしているわけじゃない。それは学生の部活というわりかし入ったり辞めたりが自由なところならいいけれど、会社って無理じゃない。生活していかないといけないわけだら。転職くりかえしたって、履歴書汚れるだけだし。
 んでなんだっけなーまあ馬鹿経営者は死ねっつうのがいいたいことなんだけれども、あのマネジメントだかって、基礎として何もいわれてないけれども、人を物として扱うってのが基本的なスタンスだし、そらまー彼らにしたら当たり前すぎるんだろうけれども、それはどうなのって思った。
 モー少し考えてみるに、あのレギュラーをあきらめてマネージャーになりたかったやつって、別にマネージャーになりたかったわけじゃないじゃない。でも甲子園にいきたいがために、あえてマネージャになったって話で、まあ涙ぐましいつうか優良社員で、そんで組織に尽くしたやつが大活躍するみたいな話はまあさておいて、あの男が別に甲子園にいけないとして、いけなかったとして、レギュラーになれなかったとして、それでも部活を続けたとして、そうした行動をとっていたら甲子園にいけることよりも悪なんだろうかと考えてしまうよね。
 甲子園にいくとか、会社が大きくなるとか、そういう誰にでも眼に見える、誰でも測定できるところに自分を費やすというのは、実は献身的なように見えて、凄く打算的だし、単純な数学的なことだと思う。野球の才能が無いと割り切る。こうしたことって単に諦め、逃走的な態度だなあと僕は感じる。あのマネージャーに転向した彼が、地道に努力を続けていたとしても、甲子園にいけなかったかもしれない。何も変わらなかったとしても、何かが残るんじゃないですかというか、そんなに誰にでも見えるものに固執することが重要かと思うし、まーそんな感じなんだわ