私はあるひとつの観念のために死ぬ人たちに虫唾が走る。私はヒロイズムを信じない

 と、いうカミュのペストを読んで、あれやんけと思った。本書いていて、本って作者に都合の良いように作られていてというか、作っていて。例えば良く解からないことは、本では説明しないでもいいというか、それは駄目なんだけれども、割かしグレイで、反論する人はいないわけだから、放置っという態度が可能なわけですよ。だって一方方向なわけですから。本ていうのは提供するだけで、反論なんてのは無い。そらまーある程度の知識は必要だけども、それ以上のどうして?にたいしては割かし、掘り下げる可否っていうのは作者優先。それが誰でもが疑問に思うようなことであっても、表面的の取り繕っていれば、それはそれなりってことになる。
 で、なんだ、なにが書きたかったのかおおむね忘れかけているんだけれども、ヘンリーミラーだったか、全てに対立と矛盾を見出していたって、それはそうで、不完全性低利的な脱構築てきな、論理だけでいったら、完全な自分手言うのは定義できなくて、完璧な論理っていうのも存在しないわけで、だから題名とどう繋がるんだったかなあ。
 だからそうそう、世の中金!とか愛!とかいう馬鹿がよくそこらにいるけれど、そういう観念を一個しかもたないってことは、基準を一個しかもてなくて矛盾と対立を見出せないわけだから、それはそれで幸せなことこもしれなけれど、まあそれはそれで幸せでいいのかな、おれのしったこっちゃねーなと思いました
 
 で、本を脱稿してから、出版社が校正して、俺に著者校正として持ってきて、それを著者校正として赤を入れていくわけだ。でも、システム関係の話って、その道の新しい分野をきり広げていく作業なわけだから、作った本に対して、誰も構成は入れられないんだよねコアとなる箇所については、だから時間が掛かるんだけれども、そこは大手出版社様が1月7日までに、著者校正を終えて、更に出版社での校正を終えて、出版前状態に持っていくっつうんです。ええって3日くらいしかねーよ、もうちょい伸びないって聞いたら伸びねええとのこと。作者としてはもう著意時間を貰って納得できるものを作りたかったなあと思っていて、それでも時間の制約で結構手を入れることが難い状況だった、ある程度のシステムのコアな話は俺がやって、それ以外の文章の校正は編集さんに任せた。
 できれば時間が貰っていいものを作りたかったのが感想