引用

 一人のある働く人間の条件や、働く人間たちに基礎を置いた文明には、なにかしら汚らしさや惨めさがある。
 だが、問題は支えることであって、見捨てることではない。その自然な反作用は、労働以外のところでいつも自分の気を紛らわし、自分の周囲に安易な賛美や、取り巻きや、卑劣さや喜劇の口実をつくることだ(家庭というものの多くはそのためにつくられている)。もう一つの不可避的な反作用は、美辞麗句を連ねることだ。もしそれに、自然の成り行きに任せる投げやりな態度や、肉体的なふしだらさや、意思の弛緩が加わると、こうした二つの反作用はその上一つになってしまうこともある。
 まず沈黙することだ−−取り巻きを排し、自己批判を知ることだ。綿密な身体の練磨と、綿密な生の意識の釣りあいを取ることだ。あらゆる自惚れを捨て、金銭にかかわる、また固有の虚栄心や自己の卑劣さか変わる二重の開放作業に専念することだ。きちんと生きることだ。たった一点を反省するのに二年かかっても、それは人生では無駄なことではない。以前のすべての状態にきっぱりとけりをつけ、まなんだことを何一つわすれぬよう。、そしてつぎには忍耐強く学ぶよう、まず全力をそそぐことだ。
 こうした犠牲を払っても、このもっとも賤しい、もっとも惨めな条件、つまり働く人間の条件から逃れうるのは、十に一つのチャンスしかないのだ。

だそうです