ばいきんまんとヘリコプタン

 ある晴れた青空を半人半機械が駆ける。彼の名前はヘリコプタン。ヘリコプタンは丸い機体をしている。黄色い機体の横には手が生えており、足もおざなり程度にはついているが、彼は殆ど歩かない。何故なら彼の頭についている大きなプロペラがついており、プロペラを回転する彼の身体はふわりと浮きあがり、そのまま青空を駆けることができるからだ。いまヘリコプタンはいくつもの色とりどりの箱が入ったネットを体から下げて街へ向かっている。街の皆への荷物を配達するのがヘリコプタンの努めだ。
 「どんどんいくぞヘリコプタン。ずくずくいくぞヘリコプタン」陽気に自分への賛歌を口ずさむ。青空の下で歌を歌える。それだけで、この仕事も楽しいと思えた。他人の使い走りをするだけの単純な労働、ただ頭についているプロペラが回るということ、ただ、他人よりも早く目的地にたどり着くことができるという、持って産まれた属性にぶらさがる自分の仕事は、自らが獲得したものでは無い。ただそのことだけがヘリコプタンの不満であった。『これは俺が獲得した能力では無い。この頭のプロペラは父が祖父が、果てしない我らの祖先が生み出した力だ、それに比べ自分は一体なんだろうか?先祖の生み出した能力の上に臥座し、何一つ生み出すことも無く朽ち果てるこの生……だが、俺に何ができよう。出来るはずもない……』彼は胸ポケットからショートホープを取り出し火をつけ空を仰ぐ。『月は見えぬが必ずこの空のいずこかに月はあり、ただいまは自分が見ることが出来ぬだけ、時が来れば日が傾き、月は姿を現すだろう。時だけが月を拝謁することを許してくれる。果たして俺は……』
 街の中心へ荷を降ろすと町の住人が集まってくる。赤い箱、青い箱、色とりどりの箱を頼まれたものを言われたまま、言われたとおりに配るだけの作業だ。だが。町の人々は口をそろえて「ありがとうヘリコプタン」と笑顔で告げて去っていく。そんな人々の笑顔を見るたびに『彼らが感謝しているのは、俺では無く、俺の持つプロペラに対しての笑顔なのだろう。それもただ自分の都合よりもずっと早い速度で荷が届いたという、単純な数学的な儲けに対しての打算的対価なのだ』憎憎しい気持ちは決して表面へは出さずヘリコプタンは人々に荷を渡す。ネットに手を居れ、取り出した色を見、人々を判別し手渡す。ネットに手を入れ、取り出した箱の色を見て……すると、空からヘリコプタンの名を呼ぶものがふわりとマントをなびかせて降りてきた。アンパンマンだ。
 アンパンマンの顔を見てヘリコプタンはパン工場への荷があったことを思い出す。「この荷を配り終わったら、パン工場へいくところなんだ」それ聞くとアンパンマンは「じゃあ先にパン工場に行っているね」と告げて飛び去ってしまった。ヘリコプタンは忘れない。用件が済んでしまえばさっさと飛び去ってしまったこと、そしてアンパンマンがヘリコプタンに決して眼をあわせなかったことを。街の人々は荷の渡す順番がくるのをいまや遅しと待ちわびていた。ヘリコプタンの周りには、まだまだ山のように積み上げられた荷が折り重なり、人々が列を成して彼の前にならんでいる。
 アンパンマンパン工場に戻ると、ジャム、バタ子、チーズがパン作りにいそしんでいた。何をするでも無くアンパンマンはぼんやりとジャム達のパン作りを眺めている。部屋はパンを焼く熱気で蒸し暑く労働するものたちの汗や臭いが立ち込め、太陽がすぐ近くにあるような熱さだ。窓には一匹のモンスズメバチがジジジと羽音を立て唸っているのをアンパンマンを眼を伏せて聞いていた。
 静寂をジャムを呼ぶ子供の黄色の声が断ち切る。アンパンマンはいつの間にかついていた浅い眠りから眼を覚ました。夢とも現とも解からぬその声に苛々としながらアンパンマンは眼をあげる。視線の先でジャムが手を止めて空を見上げていた。青い、とても青い空を。そのとき、モンスズメバチの死骸が窓辺に落ちているのをアンパンマンは見たことを何故か鮮明に覚えていた。
 ジャムとバタ子、チーズがパン工場を出て、ヘリコプタンを出迎える。空からヘリコプタンは降下してジャム達の目の前でふわりと浮いている。首から提げたネットにはずっしりと重みを感じる袋が二つぶらさがっていた。それがパン工場で使われる小麦粉だと、アンパンマンはすぐにわかった。アンパンマンはあれも俺なのだと思う、あのチビが持つ小麦粉こそが自分を構成する要素なのだ、あれも俺であり、そう考える俺もまたここに在る。俺が偏在している、そう考える俺は誰だ。小麦粉を受け取るジャムの顔が卑屈に歪んでみえた。チーズもバタ子も卑屈に見えた。チーズもバタ子もジャムも、ヘリコプタンがいつ手を引っ込めないかと恐れているのだろう、いまヘリコプタンとジャム達は対等な関係では無いのだろう。
 無事に小麦粉を受け取ると安堵したようにジャムが「丁度、小麦粉がきれそうだったんだ」と誰に言うと無しにいい終わる前に、いつの間にかパン工場に戻っていたバタ子がパンの詰まった籠を4つばかり抱えてアンパンマンの傍へやってきた。「今日は、色鉛筆島と、ランドセル島と、ドレミファ島、あと街のみんなにも配達をお願い……でも、一人じゃ大変でしょう……」バタ子は何かを取り戻すために、わざわざこのタイミングで喋ったのだろう。そのことを誰もが理解していた。アンパンマンは即座に「大丈夫ですよ」と答え、ヘリコプタンは「ぼくがお手伝いするよ」と言った。必然であり、当然であり、そこにいた誰もが太陽を爆発させたい気分だった。
 剣のように突き刺さる煌きの青空に向けてヘリコプタンは飛び立った、瞬間、頭をよぎる、自分が飛び立とうとしたときのジャムの顔、チーズの顔、バタ子の顔、アンパンマンの顔。どれも顔の中にある海底5000mの真っ黒な穴の底から別の眼が覗くように自分が飛び立つのを追っていた。得たいのしれない不安があった。全くの正三角形のイデアをじっと眼を凝らしてみたら無数の蛆によって作られていたことを見出した。眼をこらしてジャム、チーズ、バタ子、アンパンの顔を思い出す。あの瞳の穴からのぞいていた蛆虫の無数の眼は俺の一体何を伺っていたのか。正体のつかめない自分の心持にヘリコプタンは焦燥しながらプロペラを廻す。いっそうのことこのまま太陽に向かってこの身を溶かしてしまうか。身体がもっと軽ければ俺はどこまでも飛んでいるだろう。軽い身体さえ……そう思い立ったときヘリコプタンの身体は黄色から真っ青に変色していた。
 『荷物を忘れた』そう配達すべき荷物をバタ子から受け取る前に飛び立ってしまったのだ。まだ、それほどは遠くには行っていない、すぐ眼下にはまだバタ子がいることだろう。俺の失態を見たいがためにいまや遅しと大犬の顎を開いて待ち構えている。やつらは俺の失態を笑いはしないだろう、笑顔など俺にはみせまい。笑ってみせるなんてことは、相手を許容したという証に他ならないからだ。そんな栄誉をバタ子が俺に与えるわけがない。精々ただ、ちらりと鼻先だけをこちらに向けて何事も無かったかのように、暖かなパンのぎっしり詰まった籠を差し出すのだろう。あの冷え切った真冬の海底のような眼で、瞬きひとつせずにこちらを見据えて、穴の中の蛆虫がこちらをじっくりとのぞきこんでいるのだろう。……ならば、こちらから屈服させてやる。笑い事にしてみせればいい、深刻に考える必要など無いのだ。俺はただうっかり忘れちまったそそっかしいだけの男。それ以上も以下も無い、ただ自らの失態を認めてやればいい。笑い事みたいなもんさ。それにどうだろう、もし俺が自らの失態を真正面から認めたのに、バタ子どもが失態に対して寛容な態度を取らないとしたら?そのとき、奴らは互いを信用することは出来なくなるだろう、失敗を笑うような奴と生活し眼の色を伺いながら生きることほど厳しいものはあるまい。おれはただ正直な気持ち、ただ忘れたということ。ただ偶然おれは荷物を配達すべきことをうっかり忘れちまったから、取りに戻るだけだ、それもなるべく自然に、そして滑稽に、だが、卑屈にならぬように。ヘリコプタンは意を決して空へ向かっていた身体を180度かえた。予想どおり眼下にはジャム、バタ子、チーズ、アンパンがこちらをみつめている。心がくじけそうになった。あの無機質な瞬きをしない眼で見られると全てを見透かされている気持ちになる。「俺はうっかり忘れただけだ……」そうぼそりと呟くと、眼を瞑ってバタ子たちの元へ戻っていった。パン工場に近づくにつれパンの臭いが鼻に粘りつくように広がり、それを制御することは出来ない。ふと、ヘリコプタンは理解した。これほどまでに飛び立ってもパンを忘れたことに声をかけないバタ子のことを……何とかしてやり過ごす、それより他は無いのだ。
 「わすれちゃった」頭に手を置いて作り笑顔をバタ子に向ける。笑えバタ子。俺にはそれが必要だ。減るものでもなし、お前が笑えば全てが上手くいく、もし仮にいまここでお前が笑わなければ、それは反逆だ。俺にでは無い、善意への反逆だ。ジャム達との生活への反逆だ。笑えバタ子。
 真っ黒に塗りつぶされた視線が交錯する中心にヘリコプタンはあった。沈黙……ヘリコプタンの渇いた笑顔が、端から歪みはじめようとしていた。それを察知したかのようにバタ子が喉先だけで声を出した「もう、そそっかしいんだから」そういってバタ子が笑った。それを見てチーズ、ジャム、アンパンも続けて笑った。ヘリコプタンは安堵した、あと2秒も沈黙が続いていたら、発狂していただろう。それを知っていてバタ子は沈黙していたのだから。ヘリコプタンは奪うように、バタ子からパンの籠をひったくると素早く立ち去った。
 再び煌きの中へ飛び立ちヘリコプタンは考える。祖先はどうやってプロペラを生み出したのだろうかと考える。恐らくそれは空を飛びたいという強烈な意思なのだろう。技術や科学もあるだろう、緻密な計算の上でプロペラを装着したのだろう。だが、それは強い意志を礎に建設された塔だ。肝要なのは塔の建設には堅牢な土台が無くてはならない。だからヘリコプタンいずれ自らを滅する装置を必ず手にいれるだろうと確信した。
 慌てて沢山の荷物を抱えて飛び立ったヘリコプタンがふらつきながら空のかなたへ、やがては視界から消え去ったのを確認して、バタ子とジャムは眉をゆがめて顔を見合わせた。嘲笑混じりに口の端をゆがめてジャムの黒い穴がバタ子の方を向いている。アンパンマンは自分に似たジャムの瞳が不気味でしようがない。俺とあいつの瞳は同じなのに何故あいつばかりがあのように無機質な印象を抱かせるのだろうか。アンパンマンは考える。それは一つに、奴自身が手を汚さないことだろう。ジャム、バタ子、チーズは街で何のトラブルが起ころうとも決して自らの手を汚さない。全ては俺に託される俺が倒れそうになれば、すぐさま駆けつけ俺の回復を行う。要は、奴らにしてみれば、町のトラブルなど自ら手を汚すまでも無い面倒なこと、いうなれば、奴らは何に対しても瞬間的な怒りさえもたないということだ。バタ子、ジャムには怒りも無い、悲しみもない、ただへらへらと平和そうに笑ってみせるが、それもいつもの一辺倒な平和的な笑い。平和を象徴したいがための笑顔であり、単なる反射行動、感情の伴わない肉の動作にすぎない。つまりは死んでいるのだろう。そうした半死とみないしてるジャムやバタ子があわてふためくヘリコプタンに向けて見下すような困った表情をしていることがアンパンマンには気にいらなかった。
 「街への配達が終わったらぼくが手伝いにいきますよ」
 「お願いアンパンマン」バタ子がアンパンマンに向かって口を開くと青い静脈が口の中に脈打っているのが見えた。アンパンマンはあやうく声を出しそうになった。バタ子の静脈は激しく脈打っていて、一匹の蛇を思わせた。力強い生命があった。
 そんなバタ子達のやりとりをしている木の影に一匹の蜘蛛型ロボットが居た。眼はカメラのようにキラリと日の光を反射している。
 
 バイキン城では蜘蛛型偵察機を利用してアンパンマンたちとヘリコプタンのやり取りが大画面に映されていた。
 「やきたてのパンか」とバイキンマンが呟く。
 「わたしやきたてのパンがたべたーい」とドキンちゃんが歓声をあげる。
 バイキンマンは早速司令室を飛び出すと、とある倉庫を開いた。
 「ついにこれの出番がきたな」その視線の先には巨大なカメラを二機備えたロボットが怪しく鎮座していた。